2012年5月19日土曜日

統合失調症と宗教についての考察


人格障害と宗教についての考察

 

人は精神的に不安になったときに支えになるものを探します。

これは当事者だけではなく家族も同じでしょう。自分の家族が病気になったどうしよう。それがなかなか治らない場合は特にどんな事にもすがりたいと考える人は多いでしょう。

私が先日、神家連(神戸家族会連合会)の事務所に話を聞きに行ったときにそこの職員の方が拝み屋、宗教など色々と試したが結局駄目であったとの話が出でました。その方の家族の方はわたしの家族と同じ境界性パーソナリティ障害から発展した統合失調症のようでした。

わたしはその場で、その場合の宗教は駄目だといい。その理由を説明しました。

私自身は幼少の頃から教会に通って高校の時に洗礼を受けたクリスチャンです。信仰を持つ事の意味や大切さを知っています。そして、それは私の心の支えになるものです。信じる事は力であり、それによってもたらせられた奇跡は様々な人の証などで語られています。様々な悩みを抱えた人たちが教会によって救われるという事は多くあります。

しかし、物事にはいろいろな面があります。教会も組織であり、教会の人に求めるものなどもあります。たくさんの人が居ますが、聖書によって明記されているキリスト者としての倫理観があり、クリスチャンはみなそれを守らなければなりません。それによって物事も善い悪いとはっきり決まっていくのです。


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話を戻しますが、わたしは自分の家族である当事者が教会に行きたいと言い出した時は、反対しました、しかし本人がどうしても行くといって聞かなかったことと、何処に行っても失敗し無茶苦茶な行動を繰り返していた事もあり、教会では自分自身の目で何が問題か確認できると思いつれて行きました。

今まで、私の家族である当事者が行っていた場所ではわたしは関与していなかったので、それまでどの様に私の家族である当事者が自滅に近い形で次から次へと突き進んできたのか私は理解していませんでした。

最初の時点で私が理解していたのは、次から次へと友人から拒否され、或いはこちらから拒否し、孤立しており、とにかく友達がほしいと考えているということで、私の家族である当事者が求めていたものはキリスト教の教会では無いということでした。

もちろん教会の青年会のメンバーなど皆、温かく迎え入れてはくれましたが、本来キリスト教に対する興味もない私の家族である当事者の態度は他の信者にどの様な目で映っていたでしょうか。

その時点での私の家族である当事者の症状は考え方がおかしい常識が無いというものでした。その時のわたしは、やはり善い悪いとはっきり言う性格で、私の家族である当事者がおかしな事を言ったと思ったら、その考え方はおかしい、それは違うこう考えるのが普通だと、しきりに修正しようとしました。

他の教会の人もやはり同様で、皆信仰を持ちそれにしたがって行動しています。考え方のゆがんでしまっている私の家族である当事者をキリスト教の道徳観念や倫理観念に照らし、信仰を持ってもらうとの考えで指導し注意を行って行きました。


痛みは最後の永遠に一時的な誇りです。

しかし、結局は他の以前の場所と同じようになり、牧師の娘で私の同年代の人に無茶苦茶な内容の電話をかけたり、散々他の人の悪口を言ったりするようになってしまいました。

人格障害に対しての対応が私を含め教会では対応できていないどころか、そのやり方は人格障害に対するものとしては逆効果になるものでした。当時のわたしはその知識がなく教会でもサポートできるところはしているつもりでした。

しかし、本当は手助けではなくストレスを与え追い込んでいただけなのです。

人格障害(パーソナリティ障害)、統合失調症は文字通り人格に障害がある病気です。当事者本人は自分の人格が揺らいでしまっており、人格の境界線があいまいになってしまっています。自分の存在に対し、とても大きな不安を抱えています。

そのような状態にある当事者に対して必要なのは、その人の価値観を受け入れた上で安心させ、存在を認めそのままの自分でよいのだと言うことを受け入れさせる事です。

そのような状態の当事者に対する対応として教会では自分たちの価値観を押し付けるという結果になりました。つまり、人格障害に対しては教会での普通のやり方では逆効果でしかないのです。


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人格が揺らいでおりその補強が必要な当事者は自分の持っている価値観がその存在、人格へとつながっています。要するにその価値観が否定される事は人格を否定される事につながることなのです。教会では信仰に基づいた価値観を当事者に持ってもらうために、薄くなり不安定になった人格を剥ぎ取ってしまうという事をしていたという事になります。当事者は自分が剥ぎ取られ、他のものに変えられてしまう。自分の中に他のものが入れられると感じるのです。

最終的には自己を守るために強く反発し激しい拒否反応を起こし宗教は私には何も助けにならないどころか合わない存在だと思うようになるのです。

つまり、結論としては人格障害になっている当事者に対しては宗教自体が自分の存在を脅かすストレスになり病気の治療上避ける方が良いということになります。

 

支援者としての宗教

支援者は当事者と係わりを持つ上で、様々な心理的な葛藤をします。近親者に当事者を持つ人は特にそのような仕事をするときに近親者のことが頭の中でリフレインさせてしまい色々と考えてしまいます。

当事者の行為や感情に引きずられてしまい自分自身がストレスを抱え込んでしまうのです。支援者も当事者と同じでストレスが高じ発病してしまう危険があります。

そこで、支援者も自己を保つ事が問われる事になります。自分が自分である為に自分だけの何かを持つ事や趣味をもつ事でストレスを溜めないようにするなどあります。


しかし、信仰を持つ事で揺ぎ無い人格を持つ事が出来るということがあります。心の拠り所であり自分は精神的(霊的)に守られているという確信。自らの行動規範としての倫理観は支援者としてとても重要なものになる事が出来るものです。

キリスト教においては人に仕えることの大切さを説いており、昔から精神的な病気に対して支援を行ってきたという事もあります。

信仰はその人の心の平安を与えるものです。支援者が揺らぎ無い信仰を内にもって支援を行う事は当事者に対しても安心感をもたらす事にもなります。当事者は感情の揺らぎにとても敏感で、支援者が感情的な状態ではとても安心できずに安定する事が出来ません。

人格障害に関しては前述しましたとおり、宗教を当事者本人に勧めて信仰を持つようにしてもその病気の特異性から失敗するでしょう。

しかし、支援者が自ら模範となり、決して押し付けではなく行動を示す事によって、当事者が自ら考えを修正、変わっていけるようにしていく事が重要なことなのです。

 

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