2012年4月30日月曜日

Vol.1 山田 育穂 | 東京大学男女共同参画室


 

 

大学院情報学環及び空間情報科学研究センター 准教授 山田 育穂   

 

~私のこれまでの歩み~


 大学学部から大学院修士課程までは、工学部都市工学科に在籍し、商業集積地の都市構造(お店がどこにあるのか)と消費行動(人がお買い物をすること)の関係を研究していました。さらに上の大学院博士課程に進むときに、都市構造や人の行動についてもっと計量的に、理論的に解析できるようになりたいと思い、米国に渡って地理情報システム、空間情報科学を学び、研究してきました。昨年、日本に帰ってきて東京大学で研究を続けています。

 

~私の研究テーマ「都市環境と健康」~

 「環境」と聞くと、地球温暖化や大気汚染といったグローバルな問題を連想しがちですが、私が着目しているのはもっと身近な「環境」です。普段生活している街、都市も私たちを取り巻く「環境」であり、この都市環境、身近な住環境が私たちの健康とどのような関わりを持っているのかについて研究しています。
この後、詳しく説明しますが、私が昨年まで研究をしていた米国で特に重要視されている「肥満」の問題に対し、都市環境の改善という新しい視点でアプローチを試みています。

 

~肥満とは?~


 肥満とは標準より体重が多いことです。ある人がどれくらい肥満なのかを数値で示すのに、BMI(Body Mass Index)という指標が用いられています。

 BMI = 体重(kg)/(身長(m))²

 BMI30以上が「肥満」、25~30未満を「過体重」(肥満のリスクがある)、18.5~25未満が「標準」、18.5未満が「低体重」となり、BMIは30を超えても18.5を下回っても健康上のリスクを抱えていると言われています。

 


RSAの肥満

~なぜ「肥満」が問題なのか?~


 肥満は、生活習慣病と呼ばれる、高血圧、心血管疾患、がん等を引き起こしたり、精神的疾患の発症リスクを高くすることがわかっています。そして、先ほど述べたBMIを指標にして「肥満」と呼ばれる人たちがいったいどれくらいいるのかを米国で調べたところ、成人人口に占める肥満の人の割合、肥満率はここ20~30年の間に急速に上昇していて、2009年の最新データでは、肥満率が30%を超える州が南部を中心にいくつもあることがわかりました。
 なお、日本ではBMIが30以上の人は3%程度で、肥満はBMI25以上と定義されています。この場合、日本人の男性の約30%、女性の約20%が肥満にあたりますが、これを米国にあてはめると、成人人口の65%は肥満ということになりますから、米国でこの問題がいかに深刻かがわかるでしょう。実際、米国では毎年28万人もの人が肥満に起因する原因で亡くなっていますし、医療費等で1年間に約6兆円ものお金が、肥満を原因とする問題の解消のために使われているといわれています。
 こんなに肥満の人が多いと、「肥満」は個人の問題というよりは社会全体として考えるべき問題になってきます。

 

~なぜ「肥満」になってしまうのか?~


 肥満は、摂取カロリーと消費カロリーのアンバランスによって起こります。以前は個人の問題ととらえて「もっと健康的な食事をするように」とか「適度な運動をするように」といったアドバイスをして肥満解消につなげようとしていましたが、状況は改善されるどころか悪くなる一方で、お医者さんたちや政府の人たちもこの方法に限界を感じてきました。現代の社会では、電話1本でピザが宅配してもらえる一方、忙しい生活で栄養バランスを考えた食事を作る時間がない人も多く、高カロリーな食生活を送りがちですし、自動車等の移動手段が発達したことや、オフィスワークを中心とする職業が増えたことで、日常生活の中の運動量も減ってしまっています。このような状況を見ると、肥満はもはや個人だけの問題ではなく、人々 が生活する環境そのものが肥満になりやすい状況を生み出しているのではないかと考えられるようになりました。

 


犬の嘔吐明確な粘液

~肥満を解消するための環境づくりへ~


 こうした中、個人の生活習慣の改善から、住民全体の生活がより健康的になるような環境づくりへという発想の転換が起こりました。健康的な都市空間を提供することにより肥満を改善しようというこの新しいアプローチでは、特にふたつの環境要素、健康的な食生活をサポートするという「食生活環境」と日常生活に身体活動を取り入れやすくするという「建造環境(都市の物理的な構造)」が着目されています。
 私は、子どもから大人まで誰にでも最も簡単にできる、日常生活に取り入れやすい身体活動である「歩くこと Walking」に着目し、建造環境に関する研究を行っています。

 

~ウォーカビリティ Walkability とは?~

 ウォーカビリティは、英語の「walk(歩く)」と「able(~できる)」を組み合わせて出来た形容詞「walkable(歩くことができる、歩きやすい)」の名詞形で、環境の「歩きやすさ」を指す言葉です。
ウォーカビリティが高い都市とは、日常生活の中に歩行を取り入れやすい都市です。ですから、都市のウォーカビリティが高ければ、たくさん歩いて身体活動量が多くなる、つまり、エネルギー消費量が高くなり、肥満の予防・解消につながるのではないか、と考えることが出来ます。

 

~どんな空間がウォーカビリティが高いのか~


 街に活気があって楽しそうだと、家にこもっていないで外出したいと思える。道路が安全で快適であれば歩きまわりやすい。歩いていきたいと思える目的地があればきっと歩くだろう等、自然と歩くことができそうな環境は思い当たりますよね。
これをもう少し学術的に表現すると、

人がたくさんいて、街に活気があるか ⇒ 人口密度(Population Density)
安全で快適な道路か ⇒ 歩行者に優しい道路デザイン(Pedestrian-friendly Design)
様々な目的地・訪問先があるか ⇒ 土地利用の多様性(Land use Diversity)

となり、これら3条件をウォーカビリティの3Dと言います。これら3つが高い環境はウォーカビリティが高いと考えられ、身体活動量が上がって結果的に肥満が予防・解消されると期待できます。

 


太りすぎや肥満に関する研究論文

~研究の進め方~

 この「ウォーカブルな都市環境は住民の肥満の予防や解消に役立つ」という仮説から、実際にウォーカブルな都市をつくり、住民の健康を守るという最終目標までの間には、長い道のりがあります。特に、ウォーカブルになるよう街をつくり替えて…等ということはお金も時間も掛かりたやすくできることではありません。ですから今、研究者たちはこの仮説は本当なのかを確かめるために、実際にある都市の現状を解析し、ウォーカブルな街に住んでいる人たちは本当に健康だろうか、太っていないのだろうか、と言ったことを調べています。ウォーカブルな都市は健康に役立つことを皆に納得してもらうために、証拠集めをしているのです。

 

~ソルトレイクシティを題材に~


 米国ユタ州ソルトレイク郡(以下、SLCと略す。)は、2002年に冬季オリンピックが開催された州都ソルトレイクシティを含む地域です。人口は約100万人、面積は2,000km2で、郡の北部に位置する中心市街地に行政機関や会社等が集まっています。米国では自家用車での移動が主で、公共交通が利用されているところはまれですが、SLCにはオリンピック開催に合わせて開業した路面電車があり、米国では珍しく通勤などにも比較的よく利用されています。
私の所属するユタ大学の研究グループは、このSLCを研究対象に研究を行っています。

 

~住民の健康状態を知る手がかり~

 通常、住民の健康状態に関するデータはなかなか手に入りにくいのですが、私たちの研究グループではSLCの運転免許保持者のデータを利用して、個人の肥満レベルを計算しています。米国では約30州ほどで、運転免許証に氏名、住所、性別や年齢のほか、体重と身長も記載されているので、肥満の度合い(BMI)が算出できるのです。SLCのデータは約45万人分ありますが、そのうち約5000人分をサンプリングして用いています。
図に示すようにSLCでは、男性では西部の方、女性では北西部の方でBMIが高いという明らかな空間的なパターンが見つかりました。これだけはっきり地域によって住民のBMIに違いがあると言うことは、やはり住環境の中に肥満に影響を及ぼす要素があると考えられます。ですから、私たちは次に、どんな環境の要素が影響しているのかを調べてみることにしました。

 


~地理情報システム、空間情報科学とは?~

 空間や環境に関する要素を解析するツールとして、「地理情報システム(Geographic Information Systems; GIS)」があります。GISは空間に関わるデータを系統的に扱うためのコンピュータ・システムで、これを支える理論的な学問体系は「空間情報科学」と呼ばれ、私の専門分野です。
GISは例えば、カーナビゲーションシステムやグーグルマップなど、皆さんの身近なところで利用されています。

 

~ウォーカビリティ指標を集め、解析する~

 さて、このGISを用いてまず初めにしたことは、運転免許証データの住所を地図上に載せることです。次に、その人たちが歩いて行ける範囲を、 それぞれの人の「ご近所」として設定します。そして、その中で最寄駅やスーパーマーケット、公園までの距離、道路の接続の良さや緑地の量、土地利用の様子などを測ります。
これらウォーカビリティの指標とBMIの間にどんな関係があるのかを統計学の手法を用いて解析したところ、次のような結果が出ました。

 ○緑地が多い地域ではBMIが低い傾向がある。
 ○土地利用が多様であることよりも特定の土地利用の有無がBMIと関連が強い。
 ○女性では公共交通へのアクセスの良さが、男性では道路の接続の良さがBMIと
 関連が強い。

 

~関係から「因果」関係へ~

 このように、ウォーカビリティとBMIの間に関係があることは分かりましたから、次のステップは、ウォーカビリティが向上すれば住民のBMIは本当に低下するのだろうか、つまり、ウォーカビリティの良し悪しが住民の肥満の原因なのか、という因果関係を確かめることです。先ほど述べたように、街の構造は簡単には変えられませんから、これを証明するのは並大抵のことではありません。
私たちの研究グループでは、現在SLCで建設中の新しい路面電車の駅に着目し、その完成前後で地域住民の行動パターンがどのように変化するのか、そしてその変化がBMIにどのように影響を及ぼしたかを調べようとしています。

 


~最後に、中高生の皆さんへ~

 これまでのお話の中で気付いたかもしれませんが、ひとつの研究テーマを進めていくにあたっても、様々な専門分野をもつ研究者とのコラボレーションが必要です。私の専門は、地理情報システム、空間情報科学ですが、環境心理学や社会学といった文系の専門家とも協力して研究しています。理系というと、白衣や実験のイメージが強いかも知れませんが、理系の知識や技術はもっと広く様々な分野で必要とされているのです。
本日のお話で、理系の研究者の可能性の拡がりを感じてもらえたら幸いです。

 

(この文章は、2011年8月6日に開催された「家族でナットク!理系最前線Ⅲシンポジウム」の講演内容を編集したものです。)



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